空洞庵の由来

お茶の魅力は、飲んで「ぼーっとできる」ことだと思います。
昨今は"意味"を求めて、そうした時間が減ってしまってはいるのではないでしょうか。
「ぼーっとする」は空っぽになるということ、それを”空洞”と訳し、「空洞庵」と名付けました。

茶問屋で育った私が「めっちゃ美味しいお茶を飲みたい!」と思って作ったお茶のお店

人間の進歩は2つあります。

1つは「もっと良いものを作ろう」、もう1つは「もっとラクに作ろう」というものです。

お茶作りの近年の進歩は、「もっとラクに作ろう」という方に重心があるように思います。

機械の大型化や栽培方法の効率化などです。それらの進歩は、お茶をとても身近な存在にしてくれました。急須ではなくペットボトルで飲む、というのも、その1つですね。

 

しかしお茶が身近になる影で、失われてしまった香りや味があるように思います。

その元のお茶、つまり”江戸時代のお茶”はどんな味なのでしょう。

このお茶作りは、栽培や加工の難しさ・手間の多さにより、現在は姿を消しています。

しかし味の可能性を持つだけでなく、自然に負担の少ない農法であり、食の安心安全問題も解消してくれます。

 
このお茶を復活させ、飲んでみたい!というのが空洞庵のお茶作りの始まりです。

具体的なお茶作りのおはなし

お茶の風味は、栽培環境×品種×栽培方法×製茶方法で決まります。
それぞれについて詳しく解説していきます。

【栽培環境】寒暖差のある川沿い・水はけが良い

古くからこのような場所に茶産地が栄えています。
「寒暖差がある川沿い」とは、山の中のことです。朝、川霧に包まれることにより「山の香り」「川の香り」と呼ばれる特有の豊かな香りを醸し出します。
「水はけが良い」場所とは、斜面であることや、石を多く含む土壌であることです。この場所では茶の木が力強くに育ち、味、香りともに充実します。

【品種】歴史ある在来のお茶だけを取り扱っています

お茶の木には2つ種類があります。
1つは挿木で育つ品種のお茶、もう一つは種から育つ在来のお茶です。
品種のお茶が生まれるのは戦後、1953年。対して在来のお茶が日本の歴史に登場するのは815年です。

在来のほうがおよそ1100年長い歴史があり、江戸時代は在来のお茶を飲んでいたことが分かります。

茶の木は、自分以外の茶の木としか交配しないため、一つひとつに個性があります。人が一人ひとり違うことと似ています。
寒さに強いけど病気に弱かったり、病気に強いけど香りが乏しかったり、香りが豊かだけど寒さに弱いかったり・・・芽の出るタイミングもバラバラです。いろんな茶の木が助け合って生き延びようとしています。

自らの存続のために助け合うお茶は、その香味においても同様に助け合います。渋味を持つけど香りが少ない、香りがあるけど甘みがない、甘みはあるけど・・・などなど。みんなが混ざり合うことで、豊かで複雑で、でも素朴な味わいを持っています。

この在来のお茶の茶畑面積の比率は全国に1.17%(令和2年)しかなく、とても珍しいお茶になってしまいました。

【栽培方法】農薬や肥料を使わずに育てています

在来茶の”らしさ”を味わいたい為、農薬も肥料も使っていません。
肥料をあげないことで、その土地の栄養だけで成長し、独自の味わいあるお茶になります。
それで育つの?と思われるかもしれませんが、在来の茶の木は、地中深くまで根を伸ばすため、成長に必要な養分をみずから吸収することができます。
農薬を使用すると、虫や微生物などがいなくなってしまい、不自然な自然になってしまいます。虫や微生物の営みもめぐりめぐって茶の香りや味につながります。そのため、農薬は一切使用していません。

【製茶方法】人の手、もしくは小さな機械で少しずつ加工しています

人の手や小さな機械は、お茶の味や香りが損なわれないように、丁寧に加工することができます。
人の手で全て加工することが理想ですが、どうしても加工できる量に限界があります。
その場合、機械に頼らざるを得ないのですが、機械の中でもできる限り人の手に近い機械を使用するようにしています。

代表 前田哲男